仕事に全力投球ですが、
一番大切なのは、家族です。
電気の知識0からの技術営業職。
「自分が営業として納得できるものを売りたい」。これが、当時理系の先輩ばかりの中、文系出身の僕が淀川変圧器に入社を決めた理由です。うちの商材は、需要のないところに押し売りできるような商品ではありません。自信を持って営業ができるというのは僕にとって大事なことでした。入社後は、電気の勉強をしてはつまずいて。今までこんなに人が話していることがわからないことはありませんでした。だけど、自分のポリシーは努力し続けること。飛び抜けた才能はないけれど、努力し続けたら輝けるということを昔から信じていました。行き帰りの電車の中で、学生みたいに赤ペンを持って暗記を繰り返す。そんな僕の諦めない姿を周りも見てくれて、どんどん応援してくれる仲間が増えていきました。
少しずつお客様の話を社内に持ち帰れるようになって、1年目の12月に四国エリアを任されるようになりました。出張先に飛行機で移動するときに、自分ほど若いビジネスパーソンがほとんどいないのを見て、誇らしく思えたのを覚えています。
異動の背中を押してくれた、妻の一言。
2022年の6月に、東京に異動になりました。社会人になるまで、大阪の実家を出たことがなく、入社後も大阪を離れるくらいなら辞めますから!と言っていたほど(笑)。3年目で結婚して、兵庫県へ。大阪が好きだったけれど、大阪以外でも暮らせるんだなと価値観が少し変わった矢先の内示でした。僕としては、行きたくなかった。ところが妻に相談すると、「私の人生で東京で暮らせるとは思っていなかったから、行ってみたい」と言われてしまった。それなら自分もやってみようかな、と前向きな考えに変わっていきました。
入社当時から家族を大事にしたいと考えていたので、家族が離れて暮らすのは考えていませんでした。異動は3月にしてほしいと言われていたのですが、子供が5月に産まれる予定だったので、6月に。家族も増えた初めての東京生活では変化の連続で、最初はすごくストレスを感じました。そんな僕に色々と融通を利かせてくれた職場の方々には感謝しています。
泥臭く。試行錯誤を重ねた東の営業。
異動して、東京での淀川変圧器の認知度の低さには驚きました。大阪では昔から淀変さんと呼んで親しんでくれるお客様がいましたが、東京ではそれが圧倒的に少ない。関西では「見積もりが高かったら、ひと声かけてくださいね」と言ったら連絡があるのに、東京では気づいたら他社に決まっていることもありました。
電話やメールではお客様を振り向かせることはできないと思い、意識したのは、泥臭く現場に行って話をするということです。
特に前任の先輩との引き継ぎは丁寧に行いました。たまたま大阪時代にもお付き合いのある企業様を担当させていただけたので、「貴社の〇〇さんとお付き合いがあり…!」などとアピールしたり、前の人はこうだったのにと言われないように、先輩のやり方やサービスは真似たりしてみました。周りの上司を頼って、自分では話せないような体験談や過去の経験を話してもらったこともあります。ここは周囲に助けてもらう、ここは自分でやる、と意識していたのが良かったと思います。2024年の4月からはグループ長へと昇格が決まりました。
幸せになるために働いている。
グループ長になってからは、マネジメントに重きを置いて日々取り組んでいます。今までは自分の仕事だけをしていれば良かったので、時間配分も考えやすかった。でも今は後輩の同行もしながら自分の仕事があって、さらに月に3〜4回は保育園に子供を迎えに行くこともあります。時間の使い方をしっかり考えていかないと、と思います。
入社から今を振り返れば、働く意味を見出せなかった時期もあったけれど、今は家族のために、自分が幸せになるために働いていると断言できます。仕事の面では手を抜かないで、最大限完璧を目指しています。でも、会社の人全員が見るスケジュールに「お迎え」って予定をはっきり書いたりしているんです。後輩たちに、淀変はこういう働き方ができるところなんだっていう背中を見せていきたい。僕は頑張り続けることが取り柄。仕事も、家庭も、努力し続けます。